2009年2月27日金曜日

ひさしぶりに

気がつくと、もの凄い勢いで日にちが過ぎていきます。

ゆっくりとパソコンの前にくつろぐことが久しぶりです。仕事と生活と透析と・・・そのくりかえしでそのどれをとっても自分自身で満足のいくものではなく最低限こなしていくこともままならず、どれもこれも中途半端な状態に陥っています。

透析が中途半端というのはおかしなことですが、私の想いと実際の透析にあたる臨床技士さんと看護士さんとの意思疎通がうまくいってないことが原因です。技士さんたちはそれぞれの技術、そして数値に偏り、看護士さんは逆に情に偏りがちで、そのどれも理解はできますが管理することと制限することしか念頭ないとしか思えないのです。
透析間の体重増加(言い換えれば除水量)が彼らの望みどおりの数値であれば、とてもよい患者で、そうでない私のような患者(体重増えすぎ、除水大)は、自己管理のできないものとして、適当な扱いをされてしまいます。そのときの状況に応じて最適の透析をセッティングするのが彼らの仕事のはずが、実際は彼らの都合にあわせて患者が自分の体重(水分)や血液検査の結果を良くするためのセッティングをしているとしかおもえなくなりました。しかし透析を離脱することは不可能なことなのでますます苛立ちがつのっているのです。

まとまりのないことを書いていますが、いまの私の気持ちの記録として残しておきます。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お気持ちはわかるような気がします。
しかし、患者と医師・臨床技士・看護士と意思疎通がうまくいっているほうが少ないような気がしています。
この関係には大なり小なり不満や不平が存在していて、自分の体調に応じてそれらの起伏があるようにも思っています。
それは私自身が経験したことですが、重体の時には先生や看護士さんが崇高な方々のように思っていましたが、多少自由が利くようになり自分なりの生活を始めると、口やかましく自分の立場ばかりを考えているように思えていらだってしまった経験があります。
もしかしたらそれに似たことかもしれませんし、そうでなくkameyaさんの違和感はまったく別なものかもしれないですね。

だから、お気持ちがわかるような気がするとしか書くことができないしだいです。

病気の状態に応じて自分も医療関係者も感情や見る目が変わって流れ作業に変化することを実感したおばさんの戯言ですがね。

kameya さんのコメント...

その通りですよね。

維持していくための透析なので、それが当たり前の生活の一部になればともおもいます。

「慣れましたか?」

最近、透析に行くと必ずといって良いほど聞かれます。